日韓ワールドカップの参加32チームの中でベスト3のチームを挙げるとすれば、サッカー関係者は異口同音にアイルランドの名を挙げるだろう。

ベスト16に残りスペインとPK戦の末破れたが、不敗であったこと、いつも後半に盛り返しネバーダイの強力なチームスピリットを発揮、そして大会開催国韓国の狂信的な応援に匹敵する、熱狂的な応援振り。更に、キャプテン、ロイ・キーンが監督と衝突、帰国させられた事件もさる事ながら、協会役員、監督、チームスタッフ、選手一団となったファミリー軍団の一面もあり、受入れ地の出雲市、千葉市でのキャンプもすべてオープンでファンを獲得していったこと等を取り上げれば、その評価もうなずける事だろう。

筆者はアイルランドチームのコーディネーターとして、日本滞在中は24時間毎日彼等と寝食を共にしたこともあり、アイルランド躍進の秘密に触れてみたい。

written by 伊藤庸夫

(1) チーム・バランスは抜群であった。

名の知られたスーパー・スターはチームを離脱したロイ・キーンしかいないアイルランドながら、チームのバランスはベスト16チームの中でもトップクラスであった。

GKシェイ・ギブンはプレミアリーグNo.1のゴーリーとして定評あり、センターバックコンビのキャプテン・スタントンとブリーンは安定した守備でミスの無いプレーをする。右のフィナンはそのオーバーラップからの攻撃に威力を発揮、左のイアン・ハートはフルバックながら、今シーズン7点の得点をセットプレーFKで挙げている、左のベッカムともいわれるキッカー。そしてロイ・キーンがいなくても、中盤は任せてくれというのは、イプスウィッチのキャプテン、カメルーン戦に貴重な同点シュートをきめたマット・ホランド。記者会見でも標準英語をしゃべり、普段はインターネットにしがみついているインテリ。その相棒はキンセラ。小柄ながらプレーメーカーとしてアイルランドの攻撃展開のブレイン、カメルーン戦では3キロの体重減の運動量を誇る。右ウイングには、マカティアが膝の怪我で体調思わしくないのをカバーして、従来右フルバックのG・ケリーがフル活動、左にはターゲットにもなるキルベーンが大柄ながらそのスキルは俊敏。そして極め付けのストライカーには点取り屋のロビ・キーンと誰も止められない20百万ポンドの値が付いたダミアン・ダフ。その控えには198cmのベテランストライカー、ナイル・クリンがいる。

全員イングランドのプレミアリーグでプレー、内4人が左利き、もしイングランドと当たったとしても、勝てる陣容である。監督ミック・マッカーシーは90年のワールドカップ出場時のキャプテン、出れば必ずベスト16になっている。そしてこの大会でもベスト16になった。それはまずチームのバランスが抜群に良かったからでもある。

 

(2) ファミリーチーム、アイルランド

鹿島でのドイツ戦はアイルランドにとって、このワールドカップでのハイライトであった。

先ず、大会前のサイパンでのキャンプで闘将キャプテンのロイ・キーンが監督ミック・マッカーシーと練習での対応から、練習場が満足な物でなかった事もあり衝突し、売り言葉に買い言葉で帰国させられる羽目に至った。果たしてアイルランドは内部分裂で早々と敗退するのではないかと、誰もが予想した程である。しかし、出雲に来て、ロイ・キーン問題が何とか解決したのは,アイルランド代表選手22名が,独自に声明を出し,監督マッカーシーを支持し、ロイ・キーンがいなくても選手一同団結しこのワールドカップに邁進すると誓ったからでもあるが、選手、監督、役員が団結したひとつの要因として,出雲市の市民全員の暖かい歓迎振りによるところが大であった。

アイルランドチームはほかのチームとは異なり、練習は全面公開であり,選手も練習後のフリータイムには三々五々町に出たりし,リラックスに努めていた。出雲市では大歓迎会,送迎会もさることながら、選手22名と監督・コーチ全員で24名による、318名の小学校5・6年生を対象としたサッカースクールも開催。嫌な事は忘れ、試合に集中できる環境を提供したことも大きかった。

第1戦の新潟でのカメルーン戦は後半にマット・ホランドが同点ゴールを決め、勝ち試合を引き分けに終え、次のドイツ戦負ければ、予戦リーグ敗退が濃厚であるだけに、幕張でのキャンプは緊張感があったが、相変わらず練習は一般公開し、連日千人以上のファンが押し寄せたにもかかわらず、選手は練習の合間にファンへのサインを行ない、アイルランドファンは日増しに増えていった。

6月5日、前日チームミーティングの際、どのくらいの時間で鹿島までいけるか計測、1時間以内での移動は可能と判断し、チームを先導する千葉県警と茨城県警と何とか1時間以内で走ってくれと懇願、一時間以上になると選手の体調は著しく低下することを強調し、協力を要請した。幕張を出て、鹿島に着く間1時間、チームバスは戦場に行く兵士の壮行会の様相を呈していた。

フィジオのミック・ビーンがいつもの定席である一番前に陣取って、拳を突き上げ、アイルランドが800年もの間、イングランドに支配されていた、屈辱の歴史を変えるため1920年代に立ち上がった革命軍の歌、ネーション・トウ・ビーを勇壮に歌い、役員監督コーチ、選手はこの愛国の歌を大合唱、そこには相手のドイツもいない、あるのは、アイルランドの魂を蘇らせる戦いの歌だけという雰囲気で鹿島に到着。

前半にクローゼに決められ1−0とリードされたが、鹿島スタジアムを埋め尽くした緑の軍団の応援もあり、インジュリータイム92分にロビー・キーンがナイル・クインのフリックパスから、相手ディフェンダーを交わし、鬼キーパーカーンの飛び込み前に思い切りの良いシュートを炸裂、また同点としたのである。鹿島のスタジアムは騒然とし、ドイツはあたかも、決勝で敗れたようにがっくりとうなだれる。

帰りのバスはまるで、戦勝軍のパレードのようであった。幕張までの1時間、モリソンが歌いだし、普段は大人しいダミアン・ダフも自分の田舎の一人語りを歌い、大喝采を浴びる。ファミリ軍団アイルランドの饗宴はホテルに帰った1時から明け方まで続いた。もちろん選手、役員家族も一緒であった。

(3) 健康管理は万全

フットボールの結果を左右する要素のうち、重要なのは、選手の健康管理である事は言うまでもない。

特にワールドカップに於いては、1人の選手の体調不調でチームは敗退する。98年のブラジル、ロナウドが試合当日、引きつけを起こし、そのためにフランスに名を成さしめた事は耳新しい事である。ワールドカップ参加チームはその健康管理のため、医者、フィジオ、シェフを同行するのは常識となって居る。

アイルランドもその例にもれずこの健康管理トリオに、安全面の警備担当3人と精神面の管理を行なうカソリック牧師をも帯同した。チーム・ドクター、マーチン・ウオルッシュは言う『スポーツ選手は体重が2%落ちると、筋力は20%落ちる。だから試合で減った体重を次の試合までに戻さねばならない。勿論練習をしながらであるが。』と選手の体重変化に目を光らせる。

1戦目の新潟は蒸し暑かった。そして激戦の上カメルーンにやっとマット・ホランドのシュートで同点としたが次のドイツ戦まで中4日、『一番体重が減ったのはマットで3kg、次はなんとGKシェイ・キブンで2.5kg。彼等を元に戻すのが自分の仕事』とし、シェイは次の日は練習休み、マットは軽いジョッギングのメニューを与えた。

シェフのサイモンは、このドクターの指示を受け、選手には『早く疲労回復、体重復元のため、まず試合後の2日間はタンパク質、特に、鶏、魚を取らせ、その後は出来るだけ炭水化物のパスタ・米類を取らせるようメニューを作った』アイルランド料理は全く素朴な素材をそのまま、焼く、煮るだけ。味付けは各自が自由に自分の好きなソース類をかけるのみ。決して我々日本人には美味しいとはいえないがアイリッシュには、満足出来るものを提供し、選手の体重回復に苦労していた。

又毎週日曜日にはリアム・ボイル牧師によるミサがホテルで行なわれる。殆どのアイリッシュはカソリックであり、神妙にお説教を聞き、心を落ち着かせていた。

まるでグランデイアーのような肩幅が広い、いつもサングラスを掛けている一見やくざ風な男が、警備担当のトム。彼は、常時選手がいくところ、姿あり、キャーキャーミーハーのネーチャンを旨く裁き、練習場、試合のスタジアムでの不測の事故が起らぬよう目を配っている。彼のアイリッシュ訛りの英語が分からず苦労している通訳を尻目にその存在感で、監督・選手の信頼は厚かった。

これら三位一体となった、裏方のサポートがあってこそ、アイルランドの躍進があったのである。

 

(4) 緑の軍団サポーターの大応援

敵地に乗り込んで、選手にとって一番嬉しいのは、サポーターの応援であろう。

アイルランド協会はこのワールドカップ中に、アイルランド本国から、車を売り、家を抵当に入れた熱烈なサポーターも含め2,500人が日本に来、その他のアメリカ、オーストラリア、東南アジアを含めて更に2,000人合計4,500人がアイルランドの応援のため、日本に来ると予想していた。それに加えて、アイルランドからの報道陣100名が来た。

まずキャンプ地の出雲市では、さすが試合前のため、一般のアイリッシュサポーターは殆ど来なかったが、報道陣はロイ・キーンのチーム離脱のスキャンダル発生のため、約100名が常駐し、アイルランドチームを本国に報道、ドーム練習場のプレスセンターは、出雲市初めての、大量アイリッシュでごった返していた。この事件も選手一同がマッカーシー監督を支持する声明を出し、一見落着。以降は報道陣もアイリッシュサポーターとして、熱烈に応援、一気にチームはまとまった。

そして新潟には何と1万人以上の緑のレプリカが埋めた。結局のところ、総勢8千人のアイリッシュが日本に詰め掛けたのである。4年に一度、今回はアメリカ以来の8年振りのワールドカップ、世界中のアイリッシュの移民が一同に会したのである。

1800年代の大飢饉の時、イングランド政府が援助せず、2百万人が死亡し、多くのアイリッシュが国を捨て、アメリカ、オーストラリア、カナダ、東南アジアに移民を余儀なくされた、暗い思いをこの祭典に一同に会し払拭する事も出来るだけに熱が篭り、あの素晴らしい応援となったのである。選手もこのアイリッシュの歴史は皆知っている。それだけにこの世界中から集ったアイリッシュのサポーターに対し、全力を挙げ闘わなければ済まない気持になるのは当然である。

ドイツ戦同点ゴールを決めたロビー・キーンも『あの熱烈な応援が無かったならば、あのゴールは生まれていなかった』とサポーターを称え、試合後は選手、スタッフ一団となってサポーターに挨拶したのも当然の事であった。そして、試合毎に、アイリッシュの闘いに酔いしれた日本人サポーターも緑をきて応援、スタジアムが緑化したのは、新潟、鹿島、横浜すべて同じであった。

韓国のレッドも凄かった。日本の青も映えていた。しかし、選手との気持ちが一番通じていたのは、歴史を背負うアイリッシュではなかったであろうか。

サポーターの一人、オコーナー氏は『私はコークから来た。ロイ・キーンの故郷であるが、今回のアイリッシュの活躍はロイ・キーンを忘れさせた。皆アイリッシュとして気持ちを一つに出来た。ベスト16で十分だ。勝負よりアイリッシュとしてのアイデンティティを蘇えらせてくれた。』という言葉がアイリッシュのサポーター振りを如実に語っている。

 

<伊藤庸夫 プロフィール>
東京都出身。
京都大学卒業後、1966年4月に三菱重工業(株)に入社。
80年4月同ロ ンドン事務所に赴任。
東芝インターナショナル(株)を経て、89年10月、ロンドンにTM ITO LTDを設立。
以来、エンジニアリングおよびスポーツ・プロモーションのコンサルティングに携わる。
サッカーとのかかわ りは中学校以来で高校、大学に続き
三菱重工業においても、日本リーグ一部で活躍。
日本サッカー協会 国際委員、同欧州代表などを務め、
ワールドカップ誘致に尽力する。94年から3年間、
サンフレッ チェ広島の強化部長として、
94年のサントリーシリーズ優勝にチームを導いた。
 

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