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オリンピック日記 by 賀川 浩

 8月中旬に、75歳の生涯で初めて入院、手術をしたために、9月のシドニー・オリンピックは残念ながら、現地へ足を運ぶのは自重し、自宅でのテレビ観戦となった。日本代表についてはもちろん、他の国の試合を“シドニーも全部やる”というテレビのおかげで、すべて見ようと思えば見られるのだから、結構な時代になったといえる。
 私がオリンピックを仕事として取り組んだのは、1952年(昭和27年)のベルギー・オリンピック大会が最初だった。以来、メルボルン、ローマ、東京、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、モスクワと合計8大会を新聞記者として関わり、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ、アトランタをフリーランスのジャーナリストの目で眺めてきた。
 その間のオリンピックの変わり様は、まことに驚くほどだが、それはそれとして、今回のシドニーはサッカーの日本代表に大きな可能性があるのがとても楽しみだ。

9月14日

 キャンベラでのD組の第1戦で、日本が南アフリカに2−1で勝った。決して楽な勝ち方ではないが、ともかく勝った。開会式の前の勝利はオリンピックを迎える日本選手国全体・・いや、日本のスポーツ好き全体、メディア全部にとっての朗報で、シドニー・オリンピックへの大きな弾みとなるはずだ。
 南アフリカに奪われた先制ゴールは31分に右コーナーまで走って、ノーマークでボールを取ったマッカーシーが中田浩二の前で2回切り返し、右足で送ったクロスをノムベテがヘディングで決めた。後方へ戻りながら体をひねっての見事なヘディング(その背後にいた中澤は、前へ出て取るのは難しかった)。マッカーシーが中田浩二と向き合った時に余裕があり、クロスを得意の右で蹴ったところで、まず勝因あり。
 しかし日本は前半のロスタイムのFKで同点。中村俊輔のFKを高原が飛び込んでヘディング。これは中村の左足の正確さと高原のヘディングのうまさによる傑作。このチャンスまでに2度、左足のドリブルシュートを失敗していた高原にとっても、うれしいオリンピック大会初ゴール。ただし、彼のヘディングの前へ長身の稲本が飛び込んだ(ボールに触らず)ことも、相手DF、GKの目を眩惑する大事なポイントだ。

 ロスタイムで追いついて意気あがる日本のはずなのに、後半も始めは南アフリカのチャンスが多い。右から、左から日本ゴール前に送られてくるボールを、ともかく防いだのは幸運だけでなく、中村、酒井の両サイドMFの早い帰陣と、DFの粘り強さだった。1対1での相手の優位を、数の多さ、つまり動きの量で消すという日本の伝統的な手法は、アマチュアの時代からプロリーグ誕生8年目の今も変わりはない。
 2度の決定的なピンチを逃れた後、34分にトルシエ監督が柳沢に代えて本山を投入する。中田英寿をFWにあげ、本山を左サイドに、そして中村を中央におくという壮行試合2試合目でみせた攻撃パターン。その直後に2点目が生まれる。中央やや右よりで中村がボールをキープすると中田(英)が走り寄って、それを貰い、一気に左斜めへドリブルし、(相手のDFの逆をついて)クリスクロスのパスをゴールで角へ流し込む。それに高原が走り寄って、飛び出してくるGKバロンに左(バロンの右手側)を抜いてシュートを決めた。中村からボールを受けてドリブルを始めてすぐに、中田は右前方へ顔を向け、ゴール前のオープンスペースを確かめたあと、すぐ顔は進行方向、つまり左斜め前に開いた本山の方へ向けてドリブルしたから、相手のDFもGKも本山へのパスを予測したに違いない。中田の左足インフロントで出されたパスは、彼の進行方向とは逆の右斜め前、このことを承知していたのは高原だけだったから、「いいパスが来たから、あとは流し込むだけ」(高原の話)となった。

 壮行試合2試合を見て、中田英寿のコンディションが良くないのに気がついた方も多いはずだ。クウェートはともかく、モロッコの選手にからまれ、ボールを奪われているシーンがあった。セリエAの3シーズン目、疲れのたまる頃かもしれないから、オリンピックで調子を上げるつもりだろうが、実際はどうかーとみていた。この試合でも決して本調子とは言えなかったが、ここぞという時に決定的な仕事、いわゆる試合の流れのなかで、味方の選手のために決定的なチャンスを生み出す力があることを示した。
 この試合では伸び盛りの高原が2ゴールし、稲田と明神の2人のボランチが、どんどん力をつけている兆しをみせた。中村俊輔を守備にまわしてかわいそうーという見方もあるが、彼にとっては2回の超ピンチを防いだだけでなく、守りで働くということはとても大きな経験になる。左足のキックに定評がある彼でも守備での時は、ピンチを逃れる時は左のキックでさらにバリエーションが必要だし、右を使えるようになることの重要さも知ることになると思う。
 なんと言っても、勝ってくれたおかげで、オリンピック開会式のショーをいい気分で見られるのがうれしい。

9月17日 「2−1スロバキア」

 稲本の快足をとばしてのシュートは、まことに痛快だった。1−0とリードした後、相手が攻撃に出てくるその守備の裏へ中田(英)が見事なパスを出し、高原が長走してGKと1対1になってシュート。ボールは相手の股下を通らず足に当たってゴール前に転がるのを、高原の左を走った稲本が追いつき、迫るDFより早く無人のゴールへ蹴りこんだ。稲本のロングランのスタートのタイミングといい、走る力といい、申し分なかったことは、彼はシュートした後、スライディングしてくる相手の足を飛び上がって避ける余裕があったことにも現われている。98年ワールドカップでフランスがブラジルを破ったあの決勝の3点目、ボランチの位置から長走してブラジルに決定的なゴールを決めたエマニエル・プティのゴールを思い出す快挙。まことに伸び盛りのプレーヤーが好敵手を相手に、いい仲間と共に、1試合1試合でみせる成長を見るほど楽しいことはない。もっとも稲本の快走ゴールでプティのように3点差の勝利になっておれば、次のブラジルとの戦いを前に、もう少し気が楽になる・・と言えば、いささか虫がよすぎることになるが・・。

 試合を振り返ると、相手は決してうまいとは言えないが、チェコスロバキア時代からの接触プレーのずるさ、汚さ、強さを持っていて、それが頑健な体とともに日本を苦しめた。それでも前半10本のシュート(相手は7)があったが、どういうわけかゴールにはつながらない。
 1点目が生まれたのは後半9分に酒井を柳沢に代えて右サイドに投入し、前半は右だった三浦を左に回してから、高原をトップに、中田が右上がり目の位置へ出てきてから、後半22分、相手が前がかりにくるところを、三浦が大きなドリブルで左サイドをタテに突破し、中央の仲間を確かめて速いライナーで手前の高原とそのマーク2人の上を越してゴール前へ。そこへ中田(英)が走りこんでダイビングするようにしっかりとヘディングした。飛んだコースはゴールキーパーのリーチいっぱいぐらいだったが、しっかりと叩いたヘディングシュートは、GKの手が伸びるよりも早く、ゴールに飛びこんだ。NHKの解説の木村和司が「決める時には決めるということですね。」とつぶやいた通り、調子が悪くても、ここという時の丁寧さ、力の入れ方は、さすがに中田というところだった。

 しかしサッカーは何が起こるかわからない。2−0から2−1となって、ともかく勝ち点を加え、合計6ポイントとDグループのトップに立ちながら、ブラジルが南アフリカに1−3で負けたため、準決勝進出は、対ブラジル戦で引き分けか勝つかでなければならぬということになった。
 しかし考えてみれば、例え23歳以下であっても天下のブラジルが死に物狂いで来るという想定で試合ができるのは選手達にとっても願ってもいないチャンスである。どうせ、決勝までゆけば、もう一度当たると考えていた相手だから、ここで追い落としてしまえば後が楽だともいえる。中田(英)と森岡の出場停止はあっても相手にも心理的なプレッシャーはある。サッカーは何が起こるかわからないから面白い。ブラジル相手に冷静でタフな戦いをしてほしい。