クラマー氏のサッカー哲学
― 明日のトルコ戦について、もう一度予想して頂けますか。
クラマー:  日本サッカーは国際水準以上の力を持っているので、試合開始から終了のホイッスルまで、ファーストラウンド各試合の後半で見せた戦いぶりを続ければ勝てるでしょう。
 次のポイントは守備。強固なディフェンスを築き、トルコの選手に「日本から点をとることは難しい」と思わせ、そして奪取したボールを力強く素早く、いかにして攻撃に繋げていくかです。
 トルコ人はサッカーに限らず非常に感情的な国民です。攻めても攻めても日本の守備に阻まれることで彼らは自制心や自信を失います。日本選手はトルコ人の感情に流されず自制心を保ち、冷静に試合をコントロールすることが大事。まずは先制点を奪うことです。そしてその後10〜20分の感情を高ぶらせたトルコの猛攻があるはずです。日本は得点したからといって、自信過剰になることは最も避けなければなりません。
 サッカーは技術、戦術が重要視されていますが、私は基本的に感情が大きく左右するものだと考えています。
 ドイツの古い習しに「目は本来、盲目である。耳は本来、聞こえないものである。筋肉は動かないものである」という言葉があります。
 全てを司るのは頭(脳)であり、目を見えるように、耳を聞こえるように、そして筋肉を動かしている。脳そのものが自分を元気にも病気にもする。
 高跳びの選手は、目を閉じて自分が飛んでいる姿を頭に思い描くことが大事だといわれます。テニスでサーブをする時も、サーブが決まる様子を思い描く。頭の中で「自分はできる」と思い描き、それを信じ、実行できるようになることが大切なのです。
 トルコ戦においても、大切なのは技術や戦術ではありません。自分が勝つのだと信じているチームが明日の試合を制するでしょう。「やりたい」と思うなら「できる」のです。
問題は「できるかできないか」ではなく「そうしたいのか、したくないのか」、その強い気持ちです。生まれながらの敗者というのは「できるかできないか」怯えてばかりで、何も勝ち取ることができない。欲しいと望むなら、得られるでしょう。それが私のサッカー哲学であり、おそらくトルシエ氏も同意見でしょうね。
 私はスポーツを通じて、「勝者になること」を教えているのです。
 日本のファーストラウンド3戦の後半には、勝ちたいという気持ちが全面に現れていた。トルコ戦では、それを試合開始からぶつけていくことが大事です。幸運を祈ります。
賀川:  「目は見えない、耳は聞こえない…」という言葉は、彼がデュイスブルグのスポーツシューレでコーチをしていた時に合宿所の正面の壁に貼ってあったそうです。1968年の日本代表への足取りは、そこから始まったのです。

これからの日本サッカーのために
クラマー:  ナポレオンの最初の子供が産まれたとき、「これで歴史は私のものだ」と言ったそうです。日本サッカーの発展も、同様に子供の育成にかかっています。子どもたちにサッカーを楽しんでもらうことが重要です。そのためには、多くの有能な指導者が必要。先進的なコーチングや、さらに多くの、良質な大会も重要。
それから、もっと多くの選手に中田選手のように欧州でプレーして欲しいです。国際経験を積み、世界のトップクラスの選手とプレーすることで、強くなるのです。
 年間最低6試合はヨーロッパの強豪国と試合をしてほしい。68年のチームは毎年のようにヨーロッパに遠征した。最初のうちは10対0や8対1で負けていました。しかし何週間かすれば、我々は勝てるようになりました。何かを学ぶためには、自分たちよりもうまい選手、チームと対戦するべきです。
 また日本代表チームは、休暇気分の相手に来てもらい自分のホームで戦うのではなく、強豪チーム相手にアウェイで勝利することを目標に頑張ってもらいたいです。
 もし美しい女性が私に「愛しています」と言ったとしたら、私は「言葉ではなく、気持ちを(態度で)見せてみろ」と言うでしょう。そうしてくれたなら、「愛し合おうではないか」と言います。机上で話すのではなく、とにかく何でもチャレンジしてみることが大事です。実際に行動に移さねばならないのです。

◆両氏のプロフィール◆
デットマール・クラマー DETTMAR Cramer

1925年、ドイツ・ドルトムント生まれ。1960〜64年に日本代表を指導し、東京、メキシコオリンピックの日本サッカーの大変革期にかかわり、その後世界70カ国で指導を行った。1975〜1977年にはバイエルン・ミュンヘンの監督として欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)に2度優勝。現在も現役コーチとしてピッチに立つ"鉄人"。『サッカー日本代表 世界への挑戦』(新紀元社・2002年)に賀川浩によるインタビューが掲載されている。

賀川浩 KAGAWA Hiroshi

1924年、神戸市に生まれる。神戸一中、神戸経済大(現・神戸大)大阪クラブなどでサッカー選手。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などの経験をもつ。1952年からスポーツ記者、1975年から10年間のサンケイスポーツ編集局長(大阪)などを経て現在フリーランスとして、現役最年長記者。
1963年の兵庫サッカー友の会、1970年の社団法人・神戸フットボールクラブの創設メンバー。ワールドカップの取材8回、ヨーロッパ選手権5回、南米選手権1回。1974年から、サッカーマガジン誌上で大会ごとに「ワールドカップの旅」を連載、さらに同誌では2002年の開催前に「マイ・フットボール・クロニクル」として日本の歩みの連載を執筆した。
著者として『釜本邦茂ストライカーの戦術と技術』、監修として「ブライアン・グランヴィルのワールドカップストーリー」(新紀元社・2002年)、その他『サッカー日本代表 世界への挑戦』(新紀元社・2002年)にも執筆している。
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