1960年と2002年の日本代表
クラマー:  今回の日本チームにはとても感心しています。私が指導していた1960年代のチームは非常にスピードを持ったチームでしたが、技術が不十分でした。今回のチームはその速さを継承しつつ、スキルが加わり、とてもいいチームになっています。
 (メキシコ五輪で銅メダルを取った)68年のチームは、釜本が病気になって70年のワールドカップの予選で敗退しました。彼はオリンピックで得点王になった、世界でも有数のゴールゲッターでしたので、彼さえ病気になっていなければ、日本は70年のワールドカップに出場できたといまでも信じています。
 以来何十年も経ち、今の日本はスピードもスキルも、目覚しい進化を遂げています。ヨーロッパ各国を上回るスピードを持ち、技術も見合うレベルになってきた。本当に感心しています。
 (明日対戦する)トルコの選手は、マンチェンスター・ユナイテッドや、リーズなどの欧州屈指のクラブを恐れることなく戦ってきたレベルの高いクラブでプレーしています。しかし日本には勝つチャンスは十分あります。これまで戦った3試合とも、前半はGOODであったけども、VERY GOODとは言えなかった。しかしどの試合でも後半はVERY GOODな試合ができたのです。トルコ戦では、前後半ともVERY GOODなプレーを見せる必要があるでしょう。
 それと、ぜひPKの練習をすべきです。練習をしなかったイングランドは、1990年のイタリア大会で西ドイツにPKで敗れました。ボビー・チャールトンに聞いたところでは、今回の代表チームはイングランドでも毎日PKの練習をしており、日本に来てからも毎日やっているとのことでした。これまで3試合の後半の戦いをし、PKの練習をすれば日本は負けるはずはない。
 サッカーにおいても人生においても、小さな積み重ねが完璧をつくるのです。試合にかかわることであれば、小さな努力を日々重ねることが大切です。
賀川:  確かに、PKの練習というのはワールドカップというシステムを勝ちぬいて行くには必要なことですね。
 クラマーの指摘通り、日本サッカーの特徴は昔から速さにあります。1936年のベルリン五輪で強豪のスウェーデンに勝った時も、スウェーデンは日本の速さにやられたのです。その速さに見合うスキルを併せ持っていなかった60年代の日本に、十分なスキルをもたらしてくれたのがクラマーです。
 今の代表は、速さはもちろん技術も身につけました。そして、選手たちは試合ごとに上手になっている。時に図々しいほどに落ち着き払っており、彼らは1試合1試合確実にうまくなっている。チュニジア戦の後で宮本に「上手くなったし、強くなったね。その秘密は何か」と聞いたら、「これだけの舞台で相手に恵まれ、チームメイトに恵まれたなかで必死にやっているからだろう」と言っていました。まだまだ不満はありますが、それがどんどん減り、GOODではなくBETTERになっている。若い選手が多い伸び盛りのチームというのはとても期待できますよね。

メキシコ五輪の大和魂
クラマー:  これまで様々なチームでコーチをしてきましたが、私はとても幸せなコーチです。当時、バイエルンはヨーロッパで3度チャンピオンになっています。76年にはヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ(現トヨタカップ)で南米の最強チームと戦い、見事優勝できた。
 多くの教え子たちが各クラブで欧州のタイトルを勝ち取り、代表チームでも栄光を手にしました。ベッケンバウアーも私の教え子の1人。16歳以下のチームの時から育ててきた彼は、息子のようなものです。
バイエルンでの優勝は予想し得るものだった。勝って当然と期待され、その期待に応えた勝利でした。
 しかし、68年日本代表が銅メダルを獲得するということは誰1人期待していなかったし予想できなかった。日本はゴールキーパーの横山からフォワードの杉山まで、全員が生粋のアマチュア。そのチームが、ナイジェリア、スペイン、フランス、ハンガリー、メキシコなどを相手に、しかもアウェイのメキシコで戦ったのですから当然のことです。
 当時、メキシコ人に「日本が勝つよ」などと言おうものなら、頭がおかしいと思われ、病院に連れていかれたでしょうね。私は勝てると信じ、結果を恐れず立ち向かう気持ちでいた。
そんな状況下で釜本が前半のうちに2得点を決め日本が先行したのですから、メキシコは観衆も選手もとても興奮し、全力で立ち向かってきました。後半残り30分になっても、メキシコは猛攻を繰り返し、波状攻撃を続けてきました。
 ですから日本選手はポジションも関係なく前に後ろに、端から端まで守っては攻め、守っては攻めを繰り返さねばならなかった。当時は90分間で1人あたり平均6キロ走りましたが、この試合では全員が軽く12キロは走っていますね。その結果、2対0で勝利しました。
 帰途で渋滞に巻き込まれ、やっとの思いでオリンピック村に着くと、渾身疲れ果てた選手が1人、また1人と気絶するようにバタバタ倒れていきました。彼らをブランケットで包んでベッドまで運び、水を飲ませて体力の回復に努めた。そんな体験は後にも先にもあの時だけ。私は戦争ではパラシュート部隊に配属され様々な経験をしましたが、メキシコでの日本代表が成し遂げたことは最も驚くべき思い出です。当時彼らが成し遂げたのは奇跡的なこと。これこそが、"大和魂"ですよ。私が2002年の日本代表に望むのも同じことです「GIVE EVERY THING!(全力を出しきること)」。
 これが、私がバイエルンの優勝の際に、「日本代表のメキシコ五輪での銅メダルこそが最もビューティフルな勝利だ」と答えた理由です。
賀川:  この話はいつ聞いても感動的ですね。バイエルンでヨーロッパタイトルを3度も獲得しているクラマーですが、ビッグタイトルよりも、「そのような経験をして銅メダルを取ったチームを率いた」という事の方がプライドだと思ってくれているんです。
 最初に日本に来た時、彼は「日本選手の大和魂が見たい」と言っていました。その彼が、日本選手の大和魂を引き出してくれたのです。
 36年のベルリン五輪のチームは自分たちで大和魂を持っていった。68年のチームはクラマーに引き出してもらった。現代表は、中田英寿や稲本ら若くて才能ある選手をトルシエが育ててきたチームですが、彼が最も強調したのも、戦う心でした。昨年トルシエに会った時、「どうして日本人がフランス人やドイツ人に戦う心、大和魂を教わらなければならないのか分からない」と言ったら、彼は大笑いしていましたね。彼はこの後のインタビューで「自分は選手が持っているものを引き出しているだけだ」と言ったそうです。 
 戦後、精神力と言う言葉はタブーになり、日本のスポーツ指導は変わりました。しかし外国では、マインドからコーチの指導が始まるのが普通。それがスポーツです。コーチも自信を持って指導して欲しいと思います。
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